デルメ食トレmagazine 第11弾(強豪校の身体づくり) 中村高等学校 横山真哉先生に訊く | メディケアスポーツ
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デルメ食トレmagazine 第11弾(強豪校の身体づくり) 中村高等学校
横山真哉先生に訊く

[高知県]
高知県
中村高等学校 横山真哉先生に訊く

「二十四の瞳」で甲子園準優勝してから40年。少数精鋭で再び甲子園出場を果たした中村高校。今季監督を勇退した横山真哉先生に、地の利に見放された逆境のなか、いかにして戦ってきたか話を伺った。

野球部・元監督 横山真哉

部員ギリギリ、練習時間も
練習相手も足りない

 高知県四万十市やその周辺地域は「旧幡多郡」と呼ばれ、高知市内から特急電車で中村駅まで約2時間、そこからさらにバスで30分以上かかる辺鄙な場所だ。エリア内の学校の部活動はどこも少子化により部員数の確保に苦戦しており、単独チームでの大会出場が難しくなってきている。さらに近年は有料道路が開通し、高知市がより身近に感じられるようになったことで進学流出が加速している。
 一方、部員数がチームの強さとイコールではないと証明しているのが中村高校である。甲子園に初出場し準優勝した1977年春の部員数は12人。今年の夏も周辺地域出身の20人だけで戦い、2年ぶりに県大会ベスト4の成績を収めた。
部員数が少ないだけではなく、中村高校を取り巻く環境は一筋縄ではいかない。例えば、練習試合を組むのも大変だ。周辺高校の多くは部員数が足りておらず、実力の拮抗する相手と練習するとなると遠征が必要になる。高知市内へ移動するより、山を越えて愛媛県へ北上した方が早いため、山道に揺られながら愛媛県の高校まで1時間半かけて出向くのがデフォルトだ。時には、試合相手を確保するために愛媛県からフェリーに乗って大分県に渡り、九州遠征することもあり、お金も時間もかかる。日頃の練習の成果を試すにもひと苦労なのだ。

 公式戦も負担が大きい。主に県大会の会場として使用される春野運動公園野球場までは、学校からバスで片道約2時間半を要する。1試合目ともなれば、朝6時には学校を出発しなければならず、寝不足や往復5時間の乗車による疲労が常につきまとう。新型コロナウイルスが流行した際は、集団感染予防のため、連戦であっても宿泊を禁じられた。精神的・肉体的負担は相当なものであった。
 さらに、同校は地域の進学拠点の役割を担っているため、学校での練習時間や練習環境にも制限がある。授業終了時刻が遅いため、練習の開始は16時半。19時には完全下校となる。学校のグラウンドも、平日は火曜日と木曜日の2日間しか使用できず、全体練習の時間は圧倒的に少ない。並大抵の監督ならお手上げ状態だろう。
 しかしながら、横山真哉先生はこの逆境の中でコンスタントに実績を挙げ、甲子園出場まで成し遂げた。逆境があればあるほど情熱を燃やし、独自の〝掛け算〟のチームづくりで少数精鋭の突破力を磨いてきたのだ。
 今年、惜しまれながらも勇退したこの賢将が、いかなる視点で困難を乗り越えてきたのか、その胆力がどこからくるのか、横山先生の歴史を紐解いてみたい

この日は四万十スタジアムで練習。秋から山本泰道先生が新監督に就任し、横山先生は部長としてサポートに徹している。立場が変わっても練習を毎日見守るのは変わらない。

 横山先生は大学卒業後すぐに母校である中村高校に赴任し、野球部監督に就任。当時は強豪私立と同じように、練習量を追い求めてスパルタ指導を行っていた。しかし、異動で高知県内の公立校をいくつも指導して、中村高校に戻ってきた2015年には指導方針をガラリと変えた。

 「8月の新チームから監督になることが決まっていたので、中村高校に転勤した4月から4カ月かけてじっくり考えて、当時2強だった明徳義塾や高知高校ができない取り組みをするしかないという考えに至りました。それが食トレであり、僕がよく『掛け算』と言っている相乗効果を生む指導だったんです。『掛け算の指導』とは、一人も取りこぼさずに全員で一丸となって取り組むことで、個の力を足し算する以上の成果をを生むということ。それで明徳義塾や高知に勝てる保証はないけれど、やってみるしかなかったんです」。

 大事にしたのは、マネージャーもボールボーイも含めた全部員が同じ気持ちを持てるようになること。そのために、中村高校では普段の練習時から、横山先生が作成した50ページ以上のマニュアルを基にした指導を徹底。選手としての在り方、打席での心構え、バッテリーの配球など、誰が指導しても一貫した指導ができるようにした。

 しかし、現実は甘くない。横山新体制になったチームは新人戦、秋季大会と2大会連続でコールド負け。後援会に「結果を出すまで3年待ってくれ」と頼んだものの、これでは1年も待ってもらえないだろうと辞職も覚悟した。

 ところが、冬を越した2月、選手たちのひたむきな努力が実を結び、驚くほどの急成長をみせる。残り半年で目標を達成できるかもしれないという予感が湧いてきた。

 そして、その予感は現実へと変わる。春季大会を終え、甲子園に繋がる夏の大会では、準々決勝で高知高校を破り、そのまま決勝へ進出。高知県で公立校が決勝を戦うのは22年ぶりのことだった。 「最後は明徳義塾に4対2で負けてしまったけれど、9回ノーアウト満塁から2点追い上げた時には、選手たちも本気で明徳義塾を倒せる!と思ったはずです」。

 この奇跡に地元は大いに沸き立ち、監督の続行も決定した。

保護者との関係に悩んだ若き日の横山先生が、自身の考えを伝えるために月1で始めた部活動通信『熱球』。自身で制作し、部員を通して保護者やOBに渡したり、周辺の学校に配布したりした。バックナンバーは367号にのぼる。(写真提供:横山部長)

14人中5人が故障で離脱
大ピンチを乗り越え優勝

 2016年は、相次ぐ故障という逆境に見舞われる。秋季大会開幕前の8月、キャプテンを含む部員2人が病気で入院し、他の部員3人が骨折するという窮地に陥った。14人の部員のうち5人が離脱したことで試合もできなくなり、練習試合はすべてキャンセル。しかし、横山先生は、このピンチをチャンスに変える。
 「練習試合を全部キャンセルして夏休みに何をしたかと言ったら、冬場のような基礎練習を徹底的にやったんです。筋トレと個人ノックとキャッチボール。ケガしている子はできる範囲でやり、手を骨折している子はとにかく走った。基礎練習を徹底的に行ったことで食トレとの相乗効果もあって、夏なのにフィジカル面がグンと上がったんです」。
 特に成長したのは、新チームのエースを任された北原野空。旧チームでは「3番・遊撃手」として出場していたため、時間の8割を野手としての練習に充てていたが、この1カ月半で、遠投や1日約200球の投球練習、走り込みなど、投手としての練習を集中的に行い、切り札となる縦の変化球をものにしかけていた。

 とはいえ、秋季大会1回戦までに全員回復とはいたらない。ケガが完治していない選手もいて、なんとか出場できたという状況。実戦練習不足のためクリーンアップが下位打線にいたりして1、2回戦を何とか勝ったものの、『今年の中村はダメだな』という声もあった。

横山先生

 だが、ここから破竹の快進撃が始まる。秋季大会は週末のみの開催のため、ケガをしていた選手たちが食トレの効果もあってみるみる回復。ようやく全員で全力プレーができる状態になった。さらに運も味方する。

 「夏の甲子園で明徳がベスト4に残ったので、国体に出場する関係で、高知大会準々決勝から準決勝まで2週間空いたんです。うちの北原にはすごく良いカーブがあったんですが、コントロールが悪かったんです。けれど、この2週間でコツを掴み、ビシビシとストライクゾーンに投げられるようになったんです。準決勝の土佐高校戦ではそれを封印し、一か八か明徳義塾戦にぶつけようと思っていました」。

 いざ始まった明徳義塾との決勝は、読み通り北原の縦の変化球が冴える。相手打線を8回まで1安打に抑え、そのまま2対0で夏のリベンジを果たしたのだった。  開幕時点では未完成だった中村高校だが、試合の中で進化していき、見事、高知県の秋の頂点に立った。そして、翌2017年には、40年ぶりに悲願の甲子園出場を果たすことになる。

なかには小、中学時代にも同じ連合チームで切磋琢磨していた選手もいる。幼いころから連携や絆を深められるのも郡部校ならでは。

どんなハンデがあっても
絶対に諦めない理由

 横山先生が中村高校に戻ってきた2015年からの歩みを振り返ると、ピンチの連続で順風満帆な時期はほとんどない。どんな状況でも絶対に諦めない、その心の強さはどこからくるのだろう。
 「実は、うちの長男は高度難聴で生まれつき両耳が聞こえないんです。今は大学も出て、東京で一人暮らしをしながら就職もしているんですが、僕は野球しかしてこなかったですし、当時は夫婦で大変悩みました。でもある時、ボランティアで一緒になった方から「障がい者」は英語で「チャレンジャー」と言うんだと教えてもらったんです。それがひどく心に響いたんですね。ハンデや逆境はチャレンジャーのための舞台であり、諦めるという選択肢はないんだと思ったんです」。
 どんな逆境でも絶対に諦めないという横山先生の信念は、何があっても息子さんの人生を応援すると決めた親の愛と覚悟から生まれたのだ。

食べることは生きること
「食トレ」で保護者も共闘

 もう一つ、息子さんとの生活がヒントになって取り入れたものが、中村高校の伝統にもなっている「食トレ」である。

 「耳が聞こえない子は上手く喋れないので、舌の動きが鈍くなり、唾液の分泌が減ると言われています。そのため、食が細くなりやすく、病弱な子もいます。実際、息子の知り合いで早くに亡くなってしまった子がいたので、『食べることは生きること』をスローガンに我が家では、息子にしっかりご飯を食べさせることに大変力を入れました。共働きだし、僕は監督もしていて多忙だったけれど、そこだけは必死に取り組んだんです。その甲斐あって息子は元気に成長してくれた。この経験があったから、コーケンの食トレについて初めて聞いた時に、絶対に成果が出るだろうと直感しました」。

運動後すぐの身体は、疲労回復に必要なエネルギー源を求めているため、日常生活を送っているときより栄養の吸収率がアップする。このタイミングでどれだけ必要な栄養素を補給できるかによって、疲労の蓄積具合、免疫力、体内の組織の強度などに差が出るため、中村高校では練習後すぐに「強化食」と補食のおにぎりを必ず全員でとっている。

 アスリートの食トレは、お金や時間がかかり、保護者の協力が不可欠だ。バランスのいい献立のためには、旬の果物から緑黄色野菜に肉や魚、大量の米など様々な食材を常に買い揃えないといけない。朝は子どもたちより早く起床し、朝ご飯や補食を用意する必要がある。保護者がしんどそうなとき、横山監督は「具は入りません。味つけは涙でいいのでおにぎりをつくってやってください」と頼む。眠い目をこすりながら支えてくれる家族の姿こそが、選手にとって何よりも頑張る理由になるのを知っているのだ。

各部員とコミュニケーションを頻繁にとることでチーム全体の意志統一を図る。部活動は2時間弱と短いが、それでも毎日全部員としっかり会話し、現状を把握できるのは、少人数だからこそのメリットだ。
甲子園の切符は逃したが、雪辱を晴らそうと自ら主将に立候補した芝海斗(一番右)を中心に逆境を超えながら得られた自信は、今後それぞれの人生できっと役に立つ。

逆境があるから強くなる
チャレンジャーの人生

 明徳義塾と最後の対戦になった昨夏は、9回2死までリードするも追いつかれ、延長10回タイブレークの末に2対3で敗退。エースナンバーを渡す予定だった投手がイップスを発症し、代わりに2年生の芝海斗を先発させた。黒星を喫したものの、芝は「横山先生から『楽しんできなさい』と声をかけられて、最終回まで思い切って投げることができました」と笑顔で振り返る。その他の選手も「負ける気はしなかった」と当時を懐かしむ。公立校の球児ながら、身体や技術力に負けず劣らず心も屈強だ。

 英語の「チャレンジャー」には、「神から挑戦する使命を与えられた人」という意味がある。逆境のなかで体験する様々な事象をプラスに捉え、自分や社会を前進させるために生かしていこうという想いが込められているそうだ。
 明るく苦難を乗り越えていく横山先生と中村高校の選手たちを見ていると、逆境とは単なるマイナス要因ではなく、チャレンジする子どもたちの未知なるパワーを引き出すトリガーなのではと感じる。向かい風のほうが飛び立ちやすい飛行機のように、逆境が子どもたちを遥か遠くまで連れていってくれるのかもしれない。

 「インタビューなどで『チャンレンジャーのつもりで』と言うチームがありますけど、うちは〝つもり〟じゃない。いつでもチャレンジャーです」。

 練習に精を出す野球部メンバーと山本監督を少し後ろから見守りながら、横山先生は嬉しそうにつぶやく。指揮官が残した不屈の精神は、後輩たちにも引き継がれていくだろう。中村高校の挑戦は、これからも続いていく。

横山先生の“鋭さ”を厳しいと感じたこともあるという3年生たち。しかし、練習試合や本番でかけられた言葉には優しさも溢れていた。

横山先生のヨコガオ

 この秋から、僕は中村高校で2回目の監督になりました。横山先生が来られる前に監督をしていたのですが、2015年に横山先生へバトンタッチして、そして今回です。2年前からは部長として横山先生をそばで見ていましたが、こうやって立場が入れ替わると、改めてそのすごさを感じます。まず、語彙力、言語能力が高くて、伝えることが上手なんです。だから選手を動かすのが上手。あと、咄嗟の判断の精度も高い。

戦術も、個々の選手に対する指導も、常に「これで良し」と思っていなくて、さらに良いものに更新していきます。何も考えずにただ年月を過ごした指導者人生ではなく、先生特有の感覚、感性で「本当にこれでいいんだろうか?」と純粋に突き詰めてきた結果、瞬時に適した判断ができているのではないでしょうか。僕も一緒にやらせてもらって長いので学ばせていただきましたが、到底敵わない差を感じています。

1982年、高知県四万十市生まれ。中村高校、京都教育大学を卒業。2008年に母校へ帰還して監督と部長を歴任。他校勤務を挟み、2023年から再び部長を務め、2024年秋から再び監督に。
悩める監督から横山先生にQ&A
野村勇雄監督
Q
A

 「選手層は部員数と関係ない」と、常に言っています。若いころは、強くなるためには部員数を増やし、練習環境を良くするなど、私学と同じことをしなければならないと思っていました。しかし、その方向性では、公立校はどうやっても敵いません。一方、私の前任校である高知工業は非常に部員が多く、チーム内での競争がチーム強化の柱でしたが、70人全員のモチベーションを上げることにも限界を感じていました。そこで、選手の力を引き出すために強豪私学がやっていない策を考えるようになり、その1つが食トレでした。高校野球の2年半の間、保護者には大変な苦労をかけることになりますが、選手が保護者と食事で繋がることはとても大切なことです。家庭での食育とともに心身を強化し、休息を得ることは、全寮制の学校ではやりたくてもできないこと。部員が少ない中でも競争が無いわけではありませんし、人数が少ないからこそ一人の責任は大きくなります。下積みの期間がない本校の選手たちには「経験値でどこにも負けるな」「基礎・基本をどこのチームより大切にしよう」とも話しています。

餅原監督
Q
A

 ここ約10年間は各学年平均6人の新入部員を迎えました。中学時代に野球をしていた生徒もいますが、勧誘していません。少ない人数だから全員の意識を高められるというメリットが少人数のチームにはあると思っています。ただ、本校がある高知県幡多郡は、非常に過疎化が進んでいる地域です。周辺の中学校も統廃合が進み、野球部も連合チームを組まなければならないような状況ですので、新入生の保護者はほとんどが顔見知りです。そのため食トレを含む本校の取り組みをご存じのうえ入学されていることが多いです。
 本校を選ぶきっかけになっているかは分かりませんが、部員と保護者、OB、地域の方々向けに部活動通信「熱球」をつくっていました。地域の中学校へも郵送していましたが、配達後、どのように扱ってくれているのかは分かりません。初めて私が本校の監督になったときから書き始め、監督を退いた今年7月が最終号となりました。これらを通じて本校の取り組みを理解していただいている面もあるかと思います。他に学校説明会に行かせていただく場合もあります。

悩める監督から横山先生にQ&A

大澤貴之監督
Q
A

 野球日誌は本校独自のものを制作しています。印刷会社で4か月分(4月~7月、8月~11月、12月~3月)のページを製本して、1年間で一人が3冊を使っています。内容は、体重、体脂肪、睡眠、素振りなどの自主練習の内容、勉強時間、練習内容や感想などで、毎日私とノートでのやりとりをします。これは振り返りにも有効ですし、選手たちの時間管理能力を育成するためにも役立ちます。国立大学進学を希望する選手は、勉強と野球の自主トレを両立する必要がありますから、野球ノートを通して指導者に管理されるだけでなく、選手本人に時間管理能力が備わる指導を心掛けています。
 また、野球日誌とは別にチームノートが1冊あります。マネージャーも含めて1日交代で感じたこと、考えていることなどを記し、それに対して私もコメントを残すようにしています。この1冊をチーム内で回すことで、仲間の考えがわかるようになるため、39年前に私が指導者としてスタートしたチームから続けてきました。チームノートは相当な数になりましたが、全て私の宝物です。

宮本祐希監督
Q
A

 高校野球は、試合に出ること以上に、大切なことがたくさんありますよね。私は部員不足になっても連合チームは組まないと公言しています。今や野球留学は全国的な流れになっていて、高知県も明徳義塾や高知高や高知中央などの私学だけでなく、公立校でも部員のほとんどが県外出身者のチームがあります。そういう流れに真っ向から逆らうように、本校は地元の選手だけで対抗してきました。逆境を力に変えたり、甲子園を目指すことによって、グラウンドの外のことにおいても生徒が様々な相乗効果を発揮させることを、自分の信念にしてやってきました。
 実は、監督に就任してすぐ、なぜ甲子園に行きたいのかを聞いたところ、多くの選手が「地域に恩返しをしたい」と答えたことがあったんです。これは、前任の指導者の日々の取り組みや普段から地域の方々から応援していただけていることが非常に大きいと思います。人数が少ないこと、グラウンドが平日2日しか使えないこと、遠征での往復時間が長いこと、スマートフォンの誘惑など、これらの逆境や障害を乗り越えた先に目標達成があることを信じて日々取り組んでいます。

文:喜岡 桜 写真:山田次郎
掲載内容に関しては制作時の情報となります。

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