デルメ食トレmagazine 第10弾(強豪公立高校特集) 有田工業高等学校
ケガ改善で始めた食育革命
奇跡の春夏甲子園出場へ
初のセンバツ出場に続き夏も9年ぶりに甲子園出場を勝ち取った有田工業高校。県勢21年ぶりの春夏出場を掴んだ理由は4年前から取り組んでいる食育革命にあった。選手の意識を180度変えた、そのメソッドとは?
人口約2万の有田焼の町から2季連続甲子園!
佐賀市中心部から西に約60㎞の場所にある有田町。世界的なブランド陶器「有田焼」発祥のこの町で唯一の高校が佐賀県立有田工業高等学校だ。陶芸を学ぶセラミック科があり、野球部の生徒も地域に根付いた学校生活を送っている。
そんな有田工がこの夏、9年ぶりの甲子園出場を果たした。春のセンバツ初出場に続く2季連続出場は県勢では21年ぶりの快挙。人口約2万人の小さな町が球児たちの躍動で大いに盛り上がった。
1979年佐賀県西有田町(現有田町)生まれ。佐賀東から日本体育大。佐賀東、伊万里農林、塩田工を経て2018年から現職。選手時代は捕手として活躍。
「2度も甲子園に行けるなんて、本当に感謝でいっぱいの1年でした。甲子園のアルプススタンドが(応援Tシャツの)ARIKO(有工)カラーの真っ赤に染まり、それは感動的でした」。
梅崎信司監督は感慨に浸りながら熱狂の1年を振り返る。140キロを超える速球で9年前に有田工から楽天に入団した古川侑利投手(現日本ハム)のような逸材がいなくとも、全員野球でつかんだ甲子園。梅崎監督の強い信念と、選手たちの努力が実を結んだ。
「唐揚げよりサラダチキン!」選手どうしの合言葉
甲子園出場のルーツとなったのは4年前から始めた食育革命だ。2018年に有田工に赴任した時、梅崎監督は選手たちを見て愕然としたという。「あまりにもケガ人が多すぎる……。そう思いました」。肩、ヒジを中心に痛みを抱えている選手が多く、その原因は何かと探った。選手一人ひとりに話を聞いていくと日ごろの食生活に問題があることが分かった。
「栄養バランスが取れていない。特に砂糖のとりすぎが気になりました。これではだめだと思い、保護者を含めた栄養指導を受けることにしました」。
まず始めたのは糖分の多い炭酸飲料や清涼飲料水をやめて、100%果汁のジュースや牛乳に転換すること。また、炭水化物中心だった食事にたんぱく質を意識的に取り入れ、ビタミンも多く摂取するようにした。身長、体重を毎日計測し「身長―100」の体重を目標に掲げた。選手たちは練習の前と合間に女子マネージャーがつくるおにぎりを食べ、練習後にコンビニで買い物をするときも脂質を考えて「唐揚げよりサラダチキン!」が合言葉になった。
偏った食事が原因でなかなか体重が増えなかった選手、逆に太りすぎていた選手たちの体重と体脂肪率にだんだんと変化が現れはじめた。効果的なトレーニングをすることで筋力もつき、現3年生が最上級生になるころには全員が目標体重をクリアすることができた。
「全員で取り組んだことが成功でした。十数年前にも食トレにトライしたことがあったのですが、この時は意識の高い選手とそうでない選手に分かれてしまい、チームとしての結果が出なかったのです。このチームは仲が良く、よく会話をしていた。食トレも野球も一丸で取り組もうと言う意識が高かった。自分たちで気づき、家族と一緒に食生活を改善したことが甲子園につながりましたね」と梅崎監督は語る。
食トレ効果で投球内容の変化を実感
Q.取り組んだ食トレのテーマは?
減量です。中学野球引退後に173㎝で85kgまで太ってしまい、高校野球ではキレを出さないと通用しないと危機感を感じたからです。
Q.具体的な取り組みは?
野菜中心の脂肪分の少ない食事に切り替えました。また、ご飯を減らし鶏むね肉を取り入れたら高2春に体脂肪が28%から18%まで減少しました。
Q.痩せてプレーに生かされた点は?
フットワークが軽くなり、スイングのキレが増しました。また、捕手として足運びが速くなったので正面で捕球できるようになり、守備範囲が広がりました。
身体は、野球のためだけにあるわけではない
甲子園出場を果たしたあとも、食育革命は新チームでも受け継がれている。減量、増量、それぞれの目標体重に合わせてお弁当のごはんの量を200グラムにする選手から1キロにする選手までさまざま。レギュラー入りを狙う池田裕哉選手は肉、魚、野菜のバランスを母と一緒に考えるようになり、新チームスタート時から2キロ増を果たしている。甲子園で4番を務め、内野安打で2打点を挙げた打撃のキーマン、角田貴弘選手は体脂肪を24%から17%まで減らし俊足に磨きがかかった。現在9本塁打。「冬場のトレーニングでもっとパワーをつけたい」と張り切っている。
減量を成功させて甲子園出場をつかんだ上原風雅前主将は食トレがパフォーマンス向上につながったことを力説する。
「太っているときは遠心力で飛ばすだけでしたが、痩せてからはボールを長く見ることができて短い距離からバットを出すことができるようになり、打球が失速しなくなりました。九州大会をかけた秋の準決勝、同点8回裏の打席でインコース高めのストレートを腰の回転でうまく打てたのも身体が絞れていたからこそだと思います」。
日体大出身の体育教諭でもある梅崎監督は食トレを卒業後も続けて欲しいと願っている。「身体は野球のためだけにあるわけではありません。社会人として仕事をしていく上で、資本となるのは丈夫な身体。健康体で働くためには食生活が土台となります。ここで得た食の知識をこれからの人生で活用していってほしいですね」とエールを込めて話した。
身体を変えた正しい食トレの知識
卒業後も生かして
入学後の風雅君の食の変化について。
毎日の自主練で夕食が遅くなるので、練習の前と途中におにぎりの補食を持たせました。また、コンビニではサラダチキンを選ぶようになり、体脂肪が減少しました。
家の食事で気をつけていたことは?
朝はパンではなくご飯中心の食事にしました。食欲のないときは必ずお味噌汁を飲ませるようにしていました。糖質を考え、オレンジジュースやカステラも活用しました。
風雅君に贈るメッセージ。
朝早くから夜遅くまで練習を頑張った成果が春夏甲子園出場につながってよかったね。春からは一人暮らしをする予定。寂しくなるけど自炊も頑張れ!
文・写真:樫本ゆき
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