デルメ食トレmagazine 第11弾(強豪校の身体づくり) 石橋高等学校
親元離れても食トレ徹底
夏の甲子園初出場初勝利へ
開場100周年を迎えた阪神甲子園球場で、創立から100回目を数える夏に初勝利をあげた石橋高校。球児たちは高い学力に磨きをかけながら、どのように野球の力もつけているのか。聖地から帰ったばかりの石橋で〝熱さ〟の正体に迫る。
1965年栃木県芳賀町生まれ。真岡高校から宇都宮大学へ進学。卒業後、壬生高校で監督に就任。真岡高校、宇都宮北高校を経て2016年から石橋高校で指揮を執る。理科教諭。
甲子園の夏空に
初めて校歌が響いた
江戸から徳川家康を祀る日光東照宮に至る約140kmの道のりを「日光街道」といい、その道中に幕府が設置した宿場として栄えた栃木県下野市石橋。かつては大名行列など参拝に向かう人々で賑わったこの旧宿場町に2024年夏、ひとときの活気が戻っていた。この地にある石橋高校が初めて夏の栃木県大会の決勝へ進出し、國學院大學栃木に9対8で逆転勝利。1935年創部以来の悲願であった夏の甲子園の切符を手にしたのだ。さらに甲子園でも1回戦に聖和学園(宮城)を5対0で下して聖地初白星をあげ、学校創立100周年の節目にいくつもの華が添えられた。
2016年から指導している福田博之監督は奮闘した球児たちについて「ただ『甲子園に行きたい』と言うだけじゃなく、日頃の行いや練習の取り組み方も、その言葉に伴うものだった」と振り返った。しかし、「生徒はまだ子どもなので、楽な選択をしそうになるときもある」とも語り、高い意識を保つためには大人が言葉で正しい方向へ導くことが大切であると説く。
「私はよく『君たちは集中力があるチームだ』と伝えていました。集中力があるのは進学校の選手によくある特徴です。生徒たちの強みを指導者が認め、継続的に伝えることで自信を持たせてあげることを心掛けています。そして、このストロングポイントを最大限に発揮することで、1日、1日、上手くなっていこうねと言い続けてきました。どの学校の生徒も一生懸命に練習をやっているんですが、中身の濃さで差をつけようじゃないかと思ったんです」。
ただ、強くなるためにはウィークポイントを指摘し、発破をかけるための声かけも必要だろう。球児たちが置かれている状況に合わせて「ときに厳しく、ときに優しくを使い分けじゃないでしょうか」と福田監督。そのなかで注意するべきは、〝甲子園〟という夢に対する情熱が指導者のひとりよがりにならないことだという。
指導者と選手が
同じ熱量で夢を追う
「やっぱり大事なことは、指導者の〝熱さ〟が子どもたちに伝わることだと思います。チーム全体で同じ熱量を持って取り組むことが大事なんじゃないかと思うんです。私は自分が高校時代に野球をやってなかったこと、それによって甲子園に挑む機会を逸したことをすごく後悔しました。だからこそ子どもたちにはこの3年間しかできない高校野球の素晴らしさに気がついてもらい、熱く燃えて欲しい。だからといって、子どもたちが疲れているときに厳しく言ってもしょうがないので、その時、その状況を考えて言葉を選んでいます。ただ、子どもたちが完全燃焼するために、こちらの〝熱さ〟は決して失ってはいけないと思いますね」。
夏の地方大会は、個々の能力では甲子園出場実績がある強豪校に劣っていたという指揮官。それでも熱さをキープし、持ち前の集中力も発揮したことで「束になってピンチを我慢して、少ないチャンスをものにする」ことができ、パワーとスピード感あふれる強豪チームを次々に破っていった。同県で公立校が夏の頂点を獲ることは19年ぶりのことだ。
身体や心の“強度”に変化あり!
食トレをして変わったと思うところは筋肉量が増えて、スイングスピードや球の強さが向上したことです。土台(身体)の強度が上がることで、よりレベルの高い練習に取り組むことができました。甲子園で全国屈指の強豪校と対面する場面が多々あり、自分より身体の大きい選手に「すごいなぁ」と感じることがありましたが、食トレが心の支えになり、2年半かけてつくった自分の身体に自信を持って大舞台で戦うことができました。
「栃木県で1番になる!」と意気込んでいる選手たちに対して強豪校の指標を示しながら指導させていただきました。夏の県大会に向けたメンバー発表後には背番号をもらえなかった3年生の体重が減ってしまうチームが少なくないのですが、石橋はメンバー外の選手が「まだまだ増やします!」と勇み、開幕前最後の測定で良い数値を出せていました。目標めがけて全員で突き進めたことが試合での強さに繋がったのだと思います。
食トレで完全燃焼するも
強豪私立の食事に驚愕
チームが一致団結できる秘訣は一体なんだろうか。元主将の田口皐月(3年)は「食トレがチームを一つにする要素になったことは間違いないと思います」と話した。平日はお弁当を持参する石橋では、保護者に朝、昼、夜の3食や補食を用意してもらう球児が多い。しかし、甲子園期間中はホテルで暮らすことになり、食事もホテルが準備したものを口にすることになる。それでも福田監督は「食トレは続けられましたよ」と余裕の表情だ。ホテルでも、開幕前にコーケンのトレーナーと打ち合わせした内容の食事を用意してもらえた。また、補食は選手たちが近くのコンビニで購入。必要な栄養素をとり続けることができ、チームの結束力も維持することができていた。
新しい気づきもあった。ホテルが準備した料理の量が予想以上に多かったことを受け、その理由を聞くと「作新学院はこのくらい食べてるよ」と言われたという。栃木県代表の定宿であったため、甲子園常連校である作新学院の食事量を参考にしていたのだ。
「さすが強いチームはたくさん食べているんだと感じましたね。うちの生徒たちも頑張って食べていましたが、かなりきつかったみたいです」と福田監督は目を丸くした。球児たちにとっても、食事による身体づくりに対する意識がより一層高まった出来事に違いない。
夢である〝甲子園〟のグラウンドにまた立てるよう、新チームになってからも不断の努力を重ねていく。
手料理で大きくなる息子を見ると大変さも吹き飛ぶ!
Q.食トレを通して変わったことは?
A.好き嫌いなくなんでも食べる子なので食トレは必要ないと思っていましたが、アスリートに適した食べるタイミングや食物の質を知り、改善に努めました。2年生の冬を越したころに成果が現れてきました。
Q.全国の食トレを支える保護者にメッセージを!
A.食事管理が毎日大変ですが、自分のつくった料理で身体が大きくなっていく息子を見ていると嬉しくなりますよ。高校野球ができるこの貴重な時間をぜひ親子で楽しみながら取り組んでください。
文:喜岡 桜 写真:小沢朋範
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